ブラタモリ 「阿波踊り」の回を見てわかった阿波踊りの歴史と秘密

阿波おどり

こんにちは、hy-awaです。

3月9日にNHKで放送されたブラタモリ、ご覧になりましたか?

タモリ 阿波踊り #128 ~阿波踊りはなぜ生まれたのか?~

その放送の中で、阿波踊りの歴史や、なぜ今の踊り方になったのかなど、僕も知らない情報が満載だったので、僕なりにまとめておきたいと思います。

この記事を読んでいただければ、阿波踊りの歴史やどうして、今の踊り方になったのかがわかりますので、最後までお付き合いください。

阿波踊りの歴史

阿波踊りの歴史については、皆さん耳にタコだと思いますが、一応説明しておきますね。

阿波踊りは、およそ400年前の江戸時代に徳島県で亡くなった人の霊を迎え入れる盆踊りとして、始まりました。

以前は、徳島盆踊りと言われていましたが、昭和初期頃から阿波踊りという名に変わったようです。

阿波踊りが流し踊りになった理由

阿波踊りは、そもそも盆踊りだったと説明しましたが、盆踊りは普通やぐらを中心にして、円になって踊りますよね。

でも阿波踊りは、流し踊りと言ってパレードの様に進行方向に向かって、横一列に並んで踊ります。

なんで、そうなったの?

阿波踊りが流し踊りになった理由は、徳島県の地形に秘密があるんです。

徳島県には、日本三大暴れ川の一つである吉野川があるのですが、その吉野川が毎年のように氾濫を繰り返していくうちに、小さな島がいくつもつくられ島の集合体となりました。

徳島県という県名は、これらの島に縁起の良いの字をつけて、徳島県となったようです。

江戸時代には、その島々に城下町が作られるのですが、広い土地は武士が取ってしまい町民は、非常に狭い土地しか使うことが出来ませんでした。

そのため、町民は広い土地を使うことが出来ず、狭い路地や限られた場所で阿波踊りを踊ることになるのですが、普通の盆踊りのようなおおきな円を作っておどる踊りが出来ず、広い場所を必要としない現在の流し踊りのスタイルとなったようです。

流し踊りには、そんな秘密があったなんて全く知らなかったので、ほんとビックリですよね。

尚、現代の阿波踊りは、流し踊りのほかにも舞台踊りや輪踊りもありますので、詳しくはこちらの記事もご参考にしてください。

阿波おどり 流し踊り、舞台踊り、踊りの違いと特徴を教えます!
阿波おどりは、踊る場所や踊り方によって、それぞれ呼び名が違うんです。その呼び名は、「流しおどり」、「舞台おどり」、「輪おどり」の3つがあります。それぞれ、踊る場所や踊り方、観客の観覧の仕方も変わってきますので、そのあたりについて詳しくご説明していきますね。

阿波踊りのおどり方が派手な理由

続いては、阿波踊りの踊り方についてです。

阿波踊りは、そもそもが盆踊りでしたがほかの盆踊りに比べ衣装も踊りも非常に派手ですよね。

なんで、そうなったの?

江戸時代の阿波踊りは、町や地域ごとに連が存在していて、それぞれの連が隣町や周りの連と競い合うように踊っていたようです。

そんな状況をみて、徳島藩が風紀が乱れることを危惧して、禁止したため連が隣町へ踊り込むことを禁止してしまいました。

ただし阿波っ子達は、隣町まで行けないことを逆手にとり、街と街を結ぶ橋を舞台にして踊っていたようです。

橋の上で踊ることで、踊りや衣装が次第に派手になり、盆踊りでありながら現在の阿波踊りのような派手でダイナミックな踊りになったようです。

徳島市阿波おどりでは、両国橋という橋の上で輪踊りをめちゃくちゃ踊っています。

この話を聞いて、妙に納得してしまいました。

阿波踊りを支えたのは、藍だった。

徳島には、鳴門金時やすだち、鳴門の鯛など多くの特産品がありますが、実は藍染めも有名なんです。

江戸時代には、全国でもトップの藍の生産量を誇っており、その藍のおかげで徳島自体が非常に潤っていたようです。

そのため、その財力があったからこそ阿波踊りをずーと続けることができ、今日まで続いてきているんですね。

ぞめき囃子を作ったのは、藍商人?

阿波踊り独特の音楽をぞめき囃子というのですが、あの音楽を作ったのも藍商人だったようです。

江戸時代、藍商人は非常に繁盛しており藍の売買に全国各地を飛び回っていたようです。

また、藍商人は徳島に帰ると夜な夜な花街く繰り出しそのお座敷では、度々盆踊りの音楽を演奏していたようです。

ただ、当時の盆踊りの音楽は、今のようなぞめき囃子とは違い、単調でどちらかと言えば、暗い音楽だったので、藍商人が全国を回って見聞きした音楽をヒントに少しづつアレンジしていきました。

その結果、現代の心踊るぞめき囃子が完成したようです。

ちなみに、ブラタモリでは、「熊本県の牛深ハイヤ節」がぞめき囃子のルーツだと言っていました。

僕も、Youtubeで牛深ハイヤ節の動画を見てみましたが、確かにリズムや太鼓の鳴らし方などぞめき囃子に通じるものがあり、妙に納得してしまいました。

下に牛深ハイヤ節の動画を載せておきますので、興味のある方は是非ご覧ください。

現在の踊り方になったのは、実は最近だった

阿波踊りと言えば、手を高く上げ、指先をしなやかに動かし、足を大きく蹴り上げ振り下ろす踊りをイメージすると思いますが、実は、ちょっと前まで今のような踊り方じゃなかったの後存知ですか?

一昔前の阿波踊りは、下の動画のように現代の踊りとはまったく違うものでした。

じゃあ、いつから今の踊り方になったのか?

そのなぞも、ブラタモリで解き明かしてくれました。

現代の阿波踊りの踊り方は、1983年に四宮賀代さんという方が考え出したのです。

四宮賀代さんは、阿波踊り界では非常に有名な方で、その昔は阿呆連で活躍していました。

現在は、阿波踊りグループ虹で活動していて、南越谷阿波踊りには毎年参加しています。

その四宮賀代さんが、現在の踊り方を考え、低く被っていた編み笠も高く被ることで、踊り自体をシャープに見せ多くの連がそれを真似をし、アッという間に今のスタイルになったそうです。

四宮賀代さんは、まさにレジェンドですね。

最後に

いかがでしたでしょうか?

今回のブラタモリを見て、まだまだ知らないことが多くあるんだなと思いました。

今回の記事を読んでいただき、少しでも多くの人が阿波踊りに興味持ってもらえたら嬉しいです。

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